デス・オーバチュア
第131話「慈悲無き聖女と毒のある妖女」




皇鱗はいくつもの空間を跳躍し、逃げ続けていた。
少しでもあの存在から遠ざかるために。
あの冷たい聖女が追ってこられない世界に速く辿り着かなければ……だが、そこはどこだ?
どこまで逃げればわたしは安心できる?
わたしが安心できる場所……それはお姉ちゃんの傍だ。
お姉ちゃんを見つければ、あんな『冷血』はもう怖くない。
わたし達は二人揃って初めて『完全』なのだ。
完全になった異界竜に敵はいない。
我ら異界竜こそ、この宇宙最強の存在なのだ。
あんな醜態は二度と晒さない。
この宇宙に残った最後の異界竜の誇りにかけて……あの冷血は必ずこの手で殺すのだ。
わたしはあの屈辱と恥辱を忘れない……。



「やはり、レール(砲身)には問題が山積みね……連発不可能どころか、一発撃っただけで崩壊する可能性がある……」
修道女は二門の十字砲台を放りだし、ゆっくりと皇鱗の傍に近寄ってきた。
「腕……わたしの腕がああああああっっ!? ああああああああああっ!」
皇鱗は蹲っている。
彼女の両腕は肘から先が綺麗に無くなっていた。
「二発のニードルブリット(針状の弾丸)のクロスポイントを、両手のガードに全闘気を集中させて耐えきるとはね……いい判断よ、一点集中の『シールド』じゃなく、全身の闘気コーティングだったら、コーティングごとあなたは粉々に弾け飛んでいたわ」
「嘘!? 嘘よおおおっ! こんなことありえないいっ! あるわけがないよおおっ!」
「もしかして、肉体を損傷したのは初体験? まあ、それだけ丈夫な体していればね……かすり傷すら滅多に負わないでしょうね」
修道女の左手に分厚い古い書が出現する。
「……なるほど、なぜ異界竜がこの世界に存在しているかと思えばそういうこと」
書は独りでに開いたかと思うと、数枚のページが飛び出し、修道女の周囲を付き従うように展開していた。
「皇鱗、天使のような悪魔……良く言えば純粋、悪く言えば単純な姉皇牙と違い、その性根はひねくれており、かなり質が悪い……天然のフリをした悪女ってところね。いや、違うか、ある意味では確かに天然でもあるのね……アンベルちゃんみたいに内面がドロドロと屈折してはいない、ただ単に生まれつき悪戯好きで意地悪なだけ……天使の笑顔を持つ小悪魔か……」
修道女の周囲を舞っていたページ達が書の中に戻っていく。
「さてと……」
左手の書が閉じられたかと思うと、いつのまに右手にリボルバー(回転式の連発拳銃)が握られていた。
「あああ……ああ? そんな玩具で何する気なの!?」
少しは落ち着いたのか、皇鱗は凄まじい形相で修道女を見上げるように睨む。
「玩具ね……確かに、こんなの零距離で撃っても、あなたの鱗にかすり傷一つつけられるわけがない。でもね……」
「……があああぁぁっ!?」
修道女はリボルバーの銃口を迷わず皇鱗の口の中に押し込んだ。
「口の中も皮膚みたいに硬質化したり、闘気でコーティングできるのかしら?」
「あ、ううう、ぐうう、ああ……」
無理矢理リボルバーを口の中に押し込まれて、皇鱗は喋ることができない。
「くわえている姿が淫靡ね……はい、ちゃんと吐かずに全部飲み込んでね」
続けざまに銃声が六回響いた。
「……なるほど、やっぱり内部は硬くもできなければ、闘気も張れないのね。しかも、人間型をしている以上、内蔵類は人間と同じ柔らかく脆いもの……」
皇鱗は大量に血を吐き出し、大地を汚している。
撃ち込まれた弾丸達は皇鱗を貫くことはできず、それゆえに、逆に皇鱗の体の中を荒らし回り、爆破しまくった。
「もしかしてつい力んで外側は硬くしちゃったの? そうしなければ、弾丸も内側から体外に飛び出していって、最小限のダメージで済んだでしょうに……あ、駄目? そうしたら普通の人間みたいに頭部が吹き飛んじゃうわね? もう一回試してみる?」
修道女は皇鱗の口の中から抜き取ったリボルバーに新しく弾丸をゆっくりと装填していく。
皇鱗は体内の深手ゆえか、痛みゆえか、とにかく一言も発することができないようだ。
「じゃあ、次は非力な人間があなた達『竜』に立ち向かう上で、お約束のように狙う場所……」
修道女はリボルバーの銃口を皇鱗の右目に押しつける。
「ああ、暴れちゃ駄目よ、手元が狂うでしょう?」
修道女は迷うことなく、慈悲深そうな笑顔を浮かべたまま発砲した。
やはり、弾丸は皇鱗の体外に飛び出してくることなく、彼女の右目を潰し、そこから彼女の頭の中に消える。
「位置的に脳味噌とかも大爆発? それでも大丈夫なの、あなた達は?……というか、痛い? ねえ、どんな感じの痛みを感じるの?」
修道女は皇鱗を嬲ることを楽しんでいるようでもなく、ただ淡々と本気で尋ねているかのようだった。
ゆっくりと銃口を今度は左目に押しつけていく。
「…………!」
突然、皇鱗が声にならない声を上げたかと思うと、消失したはずの彼女の両手がいきなり生え、そのまま修道女を押し飛ばした。
「あらっ?」
修道女は飛ばされながらも、リボルバーを発砲する。
弾丸は皇鱗の左目の僅かに下に炸裂した。
「外れ〜、やっぱもうちょっと射撃の練習もしないと駄目ね〜」
「…………!」
皇鱗は唯一残った左目で皇鱗を呪い殺すように睨みつけると、背中を向けて逃走する。
「あら〜、他の穴からも発砲、試してみたかったのに……うふふっ、残念ね〜。まあ、処女だったりしたら流石に可哀想だし、これくらいでいいかもしれないわね……じゃあ、ごきげんよう、異界竜の雛ちゃん、またお姉さんと遊びましょうね〜」
修道女は物凄い速度で遠ざかっていく皇鱗をあえて追おうともせず、それどころか、見送るように手を振っていた。



「えぐい女……というか、あの女、何も感じてないわね、他人の痛みや苦しみに……サディストより質悪そうな不感症女……」
修道女の前に水晶に映っていた白衣の女はとても解りやすかった。
あれはただの危ない女、その根元にある衝動や本質も推測するのは容易い。
だが、あの修道女だけは得体が知れなかった。
彼女の内側を覗こうとすれば、透き通っていて、外が見えてしまう……いや、それとも最初から何もない『がらんどう』なのか。
「テオゴニアを持つ者か……神剣の契約者と同じく世界の輪から逸脱した存在なのかしらね……」
神剣の契約者は、普通の人間と違い、運命や魂や時からかなり外れた異質な存在になるのだ。
一言で言うなら、神剣と契約した瞬間、人間をやめて、限りなく高次な存在……超越者となる。
基盤は人間のまま、神や魔に近しい存在になり、それでいて決して神や魔そのものになるわけではない……特種であいまいな存在だ。
「いずれにしろ、あたしごとき女神の支配の及ぶ者ではないということね」
占えない。
あの修道女のことは何一つ見抜くことができなかった。
「さて……」
遠見……遠くの景色を映し出していた水晶玉は、彼女が左手で持ち上げると同時に映像を消し、ただの水晶玉へと戻る。
「あたしもそろそろ出かけるとしましょうか」
鴉の羽を連想させるような漆黒でヒラヒラのドレスの少女は椅子から立ち上がると、
無数の水晶や宝石で彩らせた漆黒の空間を後にした。



「……ネヴァンか。丁度良いところに来てくれたね……」
真紅の鴉マハは、漆黒の鴉である妹を待ち焦がれてでもいたかのように熱烈に歓迎した。
マハは、確かに待ち焦がれていたのである。
誰も勝手には来られないこの場所に、誰かが偶然来るという……矛盾が起きることをだ。
「マハ……姉様……素敵に間抜けな姿ね」
漆黒の鴉ネヴァン……この世界ではディスティーニ・スクルズで通っている少女は少しだけ意地悪く笑った。
「ふっふっふっ……あまり笑わないで欲しいな……」
マハはブリリアント(五八面体)カットされた巨大な宝石の中に封じ込められている。
「……まさか、光の皇が君のような能力を使うとは……思いもしなかったんだよ……」
「『封印』の良いところは、相手と互角の力を持つ必要がないというところ……弱者が強者を制するための力、それが封印……」
「……ああ、そうだね。弱者である人間達が圧倒的な強者である魔王(自称)や邪神を封じるように……」
「ええ、でもその封印は強者が作ったもの。少なくとも、この世界を跡形もなく消し飛ばすぐらいの力を破壊ではなく封印に転化させたものよ」
マハを封じ込めた宝石は、恒星天をふわふわと落ち着きなく漂っていた。
「……私がいつまでも戻らなければ、モリガンが異変を感じて迎えにきてくれるかと思ったのに……いつまで経っても来てくれないし……ここには基本的にモリガンの許可が無しでは誰も立ち入れない場所だから……正直どうしようかと思っていたところなんだよ……」
モリガンの恒星天にしろ、マハの十字界にしろ、これは、他の世界や次元から完全に隔離された一つの閉鎖世界である。
つまり、モリガンやマハ、所有者唯一人のためだけのプライベートな空間……プライベートワールド(唯一人のためだけに存在する世界)だ。
ワールドのマスターが招いた者以外、誰一人勝手に侵入することも脱出することもできない。
ただし、モリガン、マハ、ネヴァンの三姉妹は互いのワールドに出入り自由な『合い鍵』を所有しており、例外だった。
「……モリガン姉様なら寝てたわよ、久しぶりに。しばらく……最低でも三日は起きないと思うわ」
彼女達の姉であるモリガンは何日〜何ヶ月間も不眠で過ごしたかと思うと、逆に何日〜何ヶ月間もひたすら眠り続けるといった少し変わった……ハッキリ言えば異常な生活スタイルをしている。
「……そうか、影を消されたし……疲れたのかもしれないね……というわけで、ネヴァン……」
「はいはい、そこから出して欲しいわけね? でも、たかがネヴァン(毒のある女)に、光の皇が全力で作った封印結晶をどうにかする力なんてあるわけないわ」
ネヴァンはわざとらしく、お手上げといった仕草をしてみせた。
「……白々しい……確かにこの宝石は、レーヴァテイン(世界を灼き尽くした業火)の一撃すら封じ込めた最高品質の結晶結界……だかその力はあくまで、内側からの力と存在の流出を防ぐ強さ……外側からなら破壊はそれほど難しくない……おそらく最高品質の金剛石を砕く程度の威力があれば事足りずはず……だよ……」
「まあ、確かに外からならただのダイヤモンドなんだろうから……壊せないこともないと思うけど……問題は……マハ姉様も一緒に砕いてしまう可能性が高いことよ」
「それなら、問題ない……この体を破壊して貰えれば、私の魂は次の体に転送される。逆にこのままの……殺されてもいない、ただ封印されているだけの状態が一番困るんだ……永遠にこのままここを彷徨うことになってしまうからね……」
「それでも、ネヴァンごときには金剛石一つ破壊することすら難し……」
「いいや、君になら簡単なはずだよ……君の飼っている混沌(カオス)の力なら……」
お気楽な感じだったネヴァンの顔が険しくなる。
「……オッケイ、マハ姉様……その体、望み通り殺し尽くしてあげるわ」
ネヴァンは冷徹な表情でそう宣言すると、背に鴉のような漆黒の翼を生やした。
「……カオスのことはモリガン姉様も知っているの?」
「……無論だ。あの人は全ての運命の過去を知っている……何より、私達の原型なのだから……隠し事は不可能だ……」
「そう……モリガン姉様もマハ姉様も知っていて気づかないフリしてくれてたわけだ……」
「…………」
ネヴァンの右手に一枚の漆黒の羽が出現する。
「姉様、最後に一つ忠告しておいてあげる……あまり自分の不滅さを過信しない方がいいわよ。あたしなら姉様という存在を完全に滅却することもできるのよ?」
「なっ!?」
突然、マハが宝石ごと横に真っ二つに両断された。
次いで、二つに分かれた宝石が全て粉々になって散っていく、中のマハごと……。
ネヴァンの右手はいつのまにか振り切られており、その手には漆黒の羽の代わりに漆黒の木刀が握られていた。
「……嘘よ、姉様。あたしが、大好きな姉様を滅するわけがないじゃない……」
ネヴァンは恒星天に散らばって消えていく宝石の破片に背中を向ける。
「まあ、やろうと思えばとっても簡単にできるけどね……」
ネヴァンはどうでもよさそうに呟くと、恒星天……静謐なる星々の世界を後にした。







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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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